桜便りが気になる季節がやってきました。
今回は、御菓子司新生堂さんの「切腹最中」を紹介します。
忠臣蔵とは
時は元禄14年(1701年)、3月14日(新暦4月21日)に、赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介に江戸城にて刃傷事件を起こし、時の将軍に切腹を命じられました。
その内匠頭が切腹をした場所が田村右京大夫宅、その跡地に「新正堂」さんがあります。
吉良には何もお咎めがなかったことのお捌きが、江戸庶民の反感を買ったばかりか、後の「忠臣蔵」の仇討ちに発展します。
内匠頭や大石内蔵助配下の「忠臣」たちが葬られている東京の「泉岳寺」にも出向いたことがありますが、事件から300年以上経過しても線香が供えられています。
切腹もなか
もなかから粒あんがはみ出て、紙おびでまいた少し風変わりな和菓子ですが、和菓子ファンには人気があります。
また企業が相手方へのご挨拶や謝罪のための「お土産」にも用いられているようです。
辞世の句
内匠頭が切腹したのは、今の4月の下旬にさしかかる桜の花も散りつつある季節、この時に詠んだ辞世の句が、「風さそう花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん」。
春風に散っていく桜の花も自分の身も名残惜しい、この思いをわかってもらいたいと伝えたように思います。
さぞ、無念であったことと思われます。
今年も咲いて散る桜の花に歴史を思い出すいい機会になるかもしれません。